問題傾向はいわゆる「難問長文」です。


序盤~中盤は、比較的難易度・問題の長さをあっさりめにした問題を多く用意し、
難問長文の枠の中で、だれずにテンポよく押し合い勝負をしてもらえるような問題群になります。

準決勝・決勝に該当するラウンドでは、難易度も上がり、前フリも新しいといえるものを用意するつもりです。

全体の平均難易度・問題文の長さは、かつて自分が仲間と開催した「難問杯」シリーズよりは簡単目・短めになると思います。
決勝の序盤だけは、渾身の新作が出ますので、答えが出ることはあまり期待しないでください。

各ラウンド共通の傾向として、序盤は難しめ、終盤は誰かは答えられるだろうというレベルまで、
緩やかに難易度の傾斜がつきます。
どのあたりで勝負をかけるかも、一つの戦略になると思います。


以下、過去の自分の問題を抜粋した例題です。
難易度の傾斜も、おおむね並び順のような感じです。

【序盤~中盤ラウンド】
Q.1904年にFIFA・国際サッカー連盟が設立されると、ロベール・ゲランのもと、ヴィクター・シュナイダーと共に初代副会長を務めているオランダのサッカー人で、FIFA及びワールドカップの創設の提唱者であるのは誰?
A.カール・ヒルシュマン
Q.退官後にはチェルシー病院の経営委員長としてチェルシー麻痺児センターを創設しているイギリスの海軍軍人で、海軍上場部長時代の部下にイアン・フレミングがおり、フレミングが小説「ジェームズ・ボンド」シリーズに登場させたボンドの上司「M」のモデルとなったのは誰?
A.ジョン・ヘンリー・ゴドフリー
Q.北條秀司(ほうじょう・ひでじ)の戯曲『京舞』のモデルであり、当代の水谷八重子が当たり役としている、本名を片山春子という舞踊家で、1872年に京都で博覧会が行われた際に創始した「都おどり」で知られるのは誰?
A.三世井上八千代
Q.Q.ジラール・ペルゴの腕時計のブランド名にもなっている、デーヴァ・ソベルのベストセラー『経度への挑戦』にも描かれている18世紀イギリスの時計職人で、マリンクロノのメーターの発明者として知られるのは誰?
A.ジョン・ハリソン
Q.書き取りを行ったのは弟子の呑舟(どんしゅう)。1694年10月5日、御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」の離れで詠まれた、俳人・松尾芭蕉の辞世の句は何?
A.旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

【終盤ラウンド】

Q.マンハッタンのブロードストリート70に現在も存在するかつての本社ビルはニューヨークの歴史的建造物に指定されている、1795年にロバート・スコットらによって創設され、1891年にはアメリカン・エクスプレスが発行した世界で最初の本格的トラベラーズ・チェックの製造を担ったアメリカの企業で、通貨・切手の原版作成を業務としており、南北戦争中の1861年、戦費調達のために発行された新ドル札の印刷にあたり、偽造防止用として緑色のインクを用いたことが、ドルを意味する隠語「グリーンバックス」の由来となったのは何?
A.アメリカン・バンクノート
Q.最初に手掛けたのはキケロの『友への書簡』。1468年ににヴェネチアで初めての印刷工房を設立した、兄ヨハン、弟ヴァンデリンのドイツ人の兄弟で、ニコラ・ジェンソンによって改良される活字書体ヴェネチアン・ローマン体を考案したことや、印刷物に初めてノンブルを記載したことで知られるのは誰?
A.スピラ兄弟
Q.ポール・アンダースンのSF小説『百万年の船』では、不老不死で3000年以上を生きる主人公として描かれている、紀元前5世紀ごろにジブラルタル海峡を越えてアフリカ大陸西岸部をコートジボワール付近まで船団を率いて探検したとされるカルタゴの人物で、先住民である毛深い女民族「ゴリライ」を発見し、これが後に動物の「ゴリラ」の名の由来となったのは誰?
A.ハンノ(航海者ハンノ)
Q.1988年にプライベート・スタジオを出たところで銃撃を受け、一命は取り留めたものの声帯を失うという悲劇に見舞われている、2010年6月に発表した松本孝弘との共作アルバム『TAKE YOUR PICK』は、第53回グラミー賞最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム部門を受賞しているアメリカのギタリストで、サザン・オールスターズの原由子が尊敬するギタリストであり、サザン及び高田みづえのヒット曲となった『私はピアノ』の歌詞にも登場するのは誰?
A.ラリー・カールトン
Q.息子の井上一四郎は、同じく落語家であったほか、曽我廼家満月の名で喜劇役者としても活躍した、本名を井上新二郎といった落語家で、『鋳掛屋』などのネタを得意とし、天然痘によるあばた面をトレードマークに狂気を含んだ爆笑派の芸風で活躍し、藤本義一の直木賞受賞作『鬼の詩』のモデルとなったのは誰?
A.桂米喬(かつら・べいきょう)
Q.キング牧師が、有名な『I have a dream』の演説の原稿を執筆した場所でもある、1818年にJoshua Tennison's Hotelとして創業され、1850年に買収したヘンリーとエドウィンの兄弟の名が付けられたアメリカ・ワシントンのホテルで、ナサニエル・ホーソーンが「世界の中心」と称したとおり、19世紀後半には多くの著名人が集うサロンとなっており、特にここのロビーで喫煙することを常としていたユリシーズ・グラントのもとへ様々な人が陳情に日参したことが「ロビイスト」という言葉の由来となったのはどこ?
A.ウィラードホテル